パッキーの日記

芸能やらガジェットやら、いろいろについて語る日記のなのだ。

人間最大の矛盾

今日の学び。

 

必ず、死ぬ人間なのに、苦しんでも生きようとする。

なぜ、疑問を抱かないのだろうか? 

もし、疑問を抱いたとしても、一時で終わるのは、

なぜだろうか?

 

 

必ず死ぬ人間なのに、生きる苦しみになぜ、疑問を抱かないのだろうか?

 

 

生まれたからには、死ななければならない。

なのに

生まれたからには、生きねばならない。

 

 

矛盾ではないですか?

 

「死にたくない」人間が、「死ぬ」

 

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「死にたくない」と思い続けている人間が、

「死ぬ」という現実。

 

誰か、否定できる人はありますか?

 

 

 

「人は、生まれながらにして『病』にかかっている。

 

『死に至る病』である。」(キルケゴール)

 

  

必ず、死ぬ人間なのに、苦しんでも生きようとする。

なぜ、疑問を抱かないのだろうか? 

もし、疑問を抱いたとしても、一時で終わるのは、

なぜだろうか?

 

 

一度、考えてみてください。

 自分の頭で考えるのが大事です。

 

答え合わせは、次回。

の予定。

 

 

 

 

 

椅子取りゲーム

人類は、壮大な「椅子取りゲーム」をしている。

でも、それに気づいてない。

 

 

大統領というたった、ひとつの「椅子」を、ある人が手にする。

8年間、座り続けた人から譲り受けるために、大いに苦労をした。

 

「苦労する甲斐がある」と思ったからこそ、

プライバシーも投げ打ち、体力も財も相当に費やして、

彼は手にするであろう「椅子」に、今は満足しているだろうか?

 

手にすると思った途端に、次々に押し寄せる波のような苦難に、

もはや寝る間もなく、また、安心して眠れる気持ちもないのだと、

影で精神科医に頼る姿が目に浮かぶ。

 

 

争って手に入れた椅子は、他の誰かに奪われる不安の始まりでもある。

 

 

「大統領」というのは、大きな注目の集まる「椅子」だけれど、

それ以外にも、たくさんの「椅子」はある。

 

金メダル、異性、マイホーム、優勝、財産、勝利・・・

 

人の数だけあると言ってもいい、それぞれが欲しい「椅子」

そのほとんどが、誰かが手にしたら、他の誰かが手にできないもの。

 

手に入れた小さな「椅子」に満足しようと努めても、

他をみれば不満が渦巻く。

 

さらに「豪華に」「強く」「便利に」

もしくは「刺激」を求める。

 

人間の本性は「欲」と「怒り」と「ねたみ・うらみ・にくしみ」なのに、

今日も、又、「椅子」を求めて、あくせくする。

 

壮大な「椅子取りゲーム」の終わりは、

人の知恵を、遥かに超えたところにしかないのに。

 

 

 

自動車保険

遇うか遭わないかわからない自動車保険ですが、

もしも起こしてしまったときに、自分では負担できない額の

お金が必要になるので自動車保険には加入しています。

 

1年に一度の見直しですが、ここ何年もお世話になっていません。

一生、お世話にならないのが一番いいでしょうが。

 

私は、安全運転なので(?)、ネットで一番安いところを探します。

 


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リオ五輪、メダルラッシュはすごいと思うけど

リオデジャネイロでのオリンピック、日本勢が続々とメダルを獲って、盛り上がっています。

それに水を差すわけではないのです。

私だって、日本人選手の活躍は嬉しいです。

 

傍観者から見れば、

「一服の清涼剤」

「明日のための活力」

ともなるでしょう。

 

しかし、当の本人達は、競技に人生を賭けていると言ってもいい。

貴重な人生の時間と、体力・知力・労力、その全てを賭けている。

 

「我が人生に悔いなし」

と人前で宣言するのは簡単です。が、

 

一人静かに省みた時、

「私の人生、これで良かったのかな・・・」

そんな思いに、必ずなるはずです。

 

近い過去にも、先例は沢山ありました。

 

水泳の平泳ぎで、中学生にして金メダルを獲った岩崎恭子選手は、インタビューでは、

「今まで生きてきた中で、一番幸せ」

と答えていました。

その通り、幸せの絶頂はその時で、その後は期待されるつつも成果は振るわず、若くして引退しています。

 

「こんなことなら金メダルなんて取らなければよかった」

と、後に答えています。

大きくは報道されませんが、それが本音でしょう。

 

「チョー気持ちいい」

と言っていた北島康介選手も、今は気持ちいいわけないですね。

 

 

今大会で、腰痛になってまでも、銅メダルを獲った女子重量挙げの選手。

注目されるのは、この一瞬なのに、

一生つきまとう恐れがある腰の痛みがあっても、競技を続けることにこだわった。

 

 

メダルが取れるかどうか、分からない競技で、メダルを取れれば賞賛されるし、

「金メダルが当然」と思われた女子レスリングの吉田沙保里選手は、

「銀メダルでごめんなさい」

と述べなければならない。

 

金メダルが撮れるのは、1人だけ。

 

「2位じゃダメなんですか?」

と言った政治家もありました。

 

比較相対の世界で、優劣を競う、それに人生の全てを賭けているから、不安・不満。

そして後悔しか残らない。

 

 

人生を賭けて悔いないのは、

他人や、過去の自分などとの比較で喜ぶ「相対的な幸福」でなく、

誰と比べなくても喜べる「絶対的な幸福」でなければならないのです。

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「成功」って何?

クリスティーナ・キンブリーさんが、銃で撃たれてなくなりました。

 

ツイッターでアピールし、歌手のオーディション番組で

若者中心に人気が高まっていた、アメリカの20代前半の女性歌手です。

 

「有名になりたい。芸能活動をして自分の歌声で人の心を動かしたい」

その夢をかなえようとして、SNSを始めた時には、

名声も無く不安はあったけれど、将来に希望はあったでしょう。

 

順調にSNSでの反応もあり、応援のコメントに背中をおされて、

オーディション番組に出演し、ステージの中央でスポットライトを浴びました。

「自分は、このために生きている」

生きている喜びを、一瞬は感じたでしょう。

 

しかし、昨日、ライブ後にファンのサインに応じている時に

銃撃されてなくなりました。

 

彼女にとって、SNSで好評を得たり、テレビ番組で人気が高まったことは、

幸福だったのでしょうか、不幸だったのでしょうか?

 

人気が出なければ、容疑者に知られることもなく、銃撃もされなかったでしょう。

 

願いが叶うのが幸福なのか、不幸なのか。

 

「どう生きる」と「なぜ生きる」が改めて考えさせられます。